| 第24号(2016年) |
| 論説 |
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| 「法学徒」としてのアレクサンダー・フォン・シーボルト − 条約改正交渉における外国人判事任用問題と「シーボルト草案」− | 堅田 智子 |
| 2つの「鎖国」−「海禁・華夷秩序」論を乗り越える − |
松方 冬子 |
| 山口県におけるウィーン万国博覧会の展示品収集 − 実地調査に注目して − |
阿部 大地 |
| 研究ノート |
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| 帰国しなかったお雇い教師O. O. キール(その1) |
加藤 詔士 |
| 学会動向 |
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<日独シーボルト・シンポジウム2016>
− 「没後150年記念シーボルトの知的遺産と日独協力の新しい道」に参加して − | 沓澤 宣賢 |
2016 洋学史学会飯田大会 講演録
「我が国における本草学・博物学上の人々と田中芳男」(9月3日〜4日) | |
| 論説 |
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| 牧野標本館所蔵の田中芳男標本 |
加藤 僖重 |
| 田中義廉と幕府・明治海軍との関係について |
塚越 俊志 |
| 田中芳男『?拾帖』の構成について : 欠本5冊の行方を探る |
佐藤 賢一 |
| 第23号(2015年) |
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| 論説 |
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| 賃借人の登場 −近世後期におけるオランダ船脇荷貿易システムの改変とその実態− |
石田 千尋 |
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| 松島剛蔵と洋学 −長州藩洋学者が歩んだ尊皇攘夷派への道− |
小川亜弥子 |
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| 独逸学協会学校の復興と和独会 −大村仁太郎、玉井喜作とシーボルト兄妹の支援をめぐって− |
堅田智子 |
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| 幕末・明治初年のおける3人のアメリカ人医療宣教師について |
藤本大士
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| 研究ノート |
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| 江戸時代の蘭和辞書『波留麻和解』とハルマの『蘭仏辞典』に見られるクンストカマーの項目について |
臺由子 |
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| 書評 |
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| Adam Clulow,The Company and the Shogun: The Duch Encounter with Tokugawa Japan |
松方冬子 |
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| 2015年 総会シンポジウム 講演 |
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| 『蘭学事始』における学問の開拓 |
笠井哲 |
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| 化学事始めから文化財科学へ |
大沢眞澄 |
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| 2015年 津和野大会 基調講演 |
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| 出雲地方へ伝播・浸透した華岡流医術について |
梶谷光弘 |
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| 第22号(2014年) |
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| 論説 |
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| 伊藤博文憲法修業へのアレクサンダー・フォン・シーボルトの関与 |
堅田智子 |
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| 日瑞修好通商条約締結の過程とその意義 |
塚越俊志 |
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| 宇和島藩における洋学者の系譜 −二宮敬作、楠本イネ、三瀬諸淵− |
井上淳 |
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| 研究ノート |
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| 塚原昌義と武田昌次 −物産学を学びアメリカへ亡命した旗本− |
樋口雄彦 |
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| 特集:洋学と本草学 |
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| 論説 |
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| 洋学と本草学 −小野蘭山から宇田川榕菴へ− |
遠藤正治 |
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| 稲若水と『庶物類纂』の編集 |
太田由佳 |
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| 『江波医事問答』にみる江馬元恭の西洋医学観 |
土井康弘 |
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| 追悼文 |
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| 平野君のこと |
岩井憲幸 |
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| 平野満先生の想い出 |
大沢眞澄 |
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| 平野満先生のご逝去を悼む |
伊藤恭子 |
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| 平野満先生との思い出 |
小宮佐知子 |
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| 平野先生との思い出 |
齊藤智美 |
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| 平野満先生を偲んで 幾つかの追想 |
下山純正 |
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| 地図をめぐる平野満さんの思い出 |
中村士 |
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| 平野満先生の思い出 |
林知左子 |
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| 「岩瀬文庫の洋学」展と平野満先生 |
八耳俊文 |
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| 平野満氏の逝去を悼む |
吉田忠 |
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| 平野先生の研究から学ぶ |
青木歳幸 |
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| 平野満とともに |
平野恵 |
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| 業績目録 |
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| 平野満教授 業績目録と略歴 |
平野恵 |
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| 第21号(2013年) |
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| 論説 |
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| シーボルト研究の現在
―アレクサンダーとハインリッヒに関する研究動向もふまえて―
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沓沢宣賢 |
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| 世界史としての蘭学研究の可能性
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八百啓介 |
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| 「在村蘭学」再考
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吉田忠 |
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| 近世医療史研究の現在―民衆・公権力と医療―
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藤本大士 |
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| 幕末期長州藩における医学館の創設とその機能
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小川亜弥子 |
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| 明治初期における上野彦馬の作品と作風
―ヨーロッパの「知」と日本の「技」の融合
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姫野順一 |
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| お雇いフランス人教師P・J・ムリエの日仏交流推進活動
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加藤詔士 |
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| 研究ノート |
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| 川原慶賀がシーボルトに売った絵の値段
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野藤妙 |
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| 幕末・明治初期の英文典における一考察
―‘Gerund’の概念と訳語について
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佐古敏子 |
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| 第19・20号(2010、2011、2012年) |
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| 論説 |
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| 蛮書和解御用の創設とその後の天文方 |
中村士 |
| 牧野標本館が所蔵しているシーボルトコレクション中にある
プラントハンターアルブレヒトの採集品
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加藤僖重 |
| 究理堂書簡に見る蘭学者交流の諸相 ――坪井信良の動静をめぐって
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海原亮・三木恵里子 |
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| 研究ノート |
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| 宇和島藩の洋学と対露認識について |
塚越俊志 |
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| 特集 |
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| 洋学史学会設立二〇周年記念・蛮書和解御用二〇〇周年記念シンポジウム |
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午前の部(司会 八耳俊文、 趣旨説明 吉田 忠
パネリスト 中村 士・松田清・八百啓介・八耳俊文)
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午後の部(司会・趣旨説明 横山伊徳
パネリスト 松本英治・梅澤秀夫・茂木敏夫)
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| 蘭書翻訳機関の設立構想と対外関係 |
松本英治 |
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| 昌平黌の朱子学派と洋学についての一考察 |
梅澤秀夫 |
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| 『海国図志』成立の背景――中国社会の変動と経世論 |
茂木敏夫 |
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| 第18号(2009年) |
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| 論説 |
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| 「南蛮運気論」の流布と受容 |
平岡隆二 |
| 近世花道思想における西洋天文学の影響 ―未生斎一甫『本朝挿花百練』と
未生斎広甫『華術三才噺』―
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井上治 |
| 明治一九年(一八八八)以後、京城で活動した医師 古城梅渓とその兄弟につ
いて―賛化病院(一八九一〜一九四二)を中心にー
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石田純郎 |
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| 第17号(2008年) |
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| 『厚生新編』の成立と「蒲桃酒」の項目について |
上野晶子 |
| 1840〜50年代の東アジア情勢とドイツ諸国−プロイセン東アジア遠征の実施背景について− |
福岡万里子 |
| T・H・ヨングハン−錦絵になったお雇い教師− |
加藤詔士 |
| 明治期における西洋ディベート導入の試み |
周莉恵 |
| ハインリヒ・フォン・シーボルトの足跡をヨーロッパに辿って−2007年夏と秋のドイツ、イタリア、オーストリアでの調査施行− |
牧幸一 |
| 1846(弘化3)年の別段風説書蘭文テキスト |
矢森小映子 |
| 2007年度洋学史学会大会シンポジウム記録−ハインリヒ・フォン・シーボルト没後100年− |
関口忠志・渡辺政弥・牧幸一 |
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| 第16号(2007年) |
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| 司馬江漢「天球図」再考 |
吉田忠 |
| 本草学者による和風温室「窖」の記録 |
平野恵 |
| 田原藩家老渡辺崋山の洋学研究 |
矢森小映子 |
| 近代歴史教科書における「鎖国」観 |
大島明秀 |
| ?葉帖「蝦夷地出産草木 一」について |
加藤僖重 |
| シンポジウム:近世における対外関係の実態と近代の言説 |
パネリスト:濱口裕介・田中葉子・畑中佳恵・大島明秀、コメンテーター:沓澤宣賢・横山伊徳 |
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| 第15号(2006年) |
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| 名古屋藩留学生・鬼頭佐太郎のドイツ留学 |
加藤詔士 |
| 寺尾(隆喬)顕融・隆純兄弟の小野蘭山講義録筆録と隆純養子雲仙の大槻玄沢入門 |
平野満 |
| クニフラー商会の1860年当時の商業活動について |
生熊文 |
| 牧野標本館所蔵のシーボルトコレクションの標本目録(3) |
加藤僖重 |
| 2003年度大会シンポジウム 豊前・豊後の洋学・医学 |
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| 2005年度総会シンポジウム:首都圏在住の芝蘭堂門人子孫たち−その紹介と証言 |
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| 2006年度総会シンポジウム 洋学と外国語 |
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| 第14号(2005年) |
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| 近世後期日本における志筑忠雄訳『鎖国論』の受容 |
大島明秀 |
| 17・18世紀朝鮮の「西学」認識とその受容 |
安瀞珠 |
| 再三種痘をめぐる一考察−和歌山県橋本市田中家「種痘帳」から見た− |
古西義麿 |
| 野呂元丈と阿蘭陀通詞今村源右衛門明生 |
今村英明 |
| 大会シンポジウム:洋学史研究の新展開 |
松田清・大網功・黒石いずみ・八耳俊文・勝盛典子・石田千尋 |
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| 第13号(2004年) |
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| 本木良永による「限象観星鏡図」と幕府天文方の測器 |
中村士・ 鳥居裕美子 |
| 明治期の種痘普及と大坂の除痘館?和歌山県橋本市の一事例一 |
古西義麿 |
| 伊能忠敬研究の回顧と省察 |
室賀信夫(海野一隆:補) |
| シーボルト自筆ノート『大名の氏名・石高・居住地一覧』に関する一考察(2) |
石山禎一 |
| 牧野標本館所蔵のシーボルトコレクションの標本目録(2) |
加藤僖重 |
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| 第12号(2003年) |
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| 牧野標本館所蔵のシーボルトコレクション中にある小野蘭山作成の標本 |
石田純郎 |
| 牧野標本館所蔵のシーボルトコレクション中にある小野蘭山作成の標本 |
加藤僖重 |
| 工学大学校卒業・工学博士の活動 |
向井晃 |
| シーボルト自筆ノート『大名の氏名・石高・居住地一覧』に関する一考察(一) |
石山禎一 |
| 牧野標本館所蔵のシーボルトコレクションの標本目録(一) |
加藤僖重 |
| 江戸初期の光学製品輸入について |
ヴォルフガング・ミヒェル |
| 佐倉高校・鹿山文庫について |
大沢眞澄 |
| シンポジウム:「地域蘭学の展開」 |
青木歳幸・鈴木幸彦・土佐博文・正橋剛二・松本英治 |
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| 第11号(2002年) |
| オランダ外科医ギルドの全盛期 ―17,18世紀のギルド規約と外科医数の推移― |
石田 純郎 |
| 西洋医学所医師添田玄春の長崎留学 |
深瀬 泰旦 |
| 音楽取調掛における山勢松韻の事績 ―筝曲からにた「国楽」創成問題― |
長沼 秀明 |
| 明治前期の官立学校における外国人教員雇用 ―第三高等学校前身校を事例に― |
田中 智子 |
| 竹内使節団の西洋視察 ―イギリスの医療・教育施設― |
羽場 俊秀 |
| 図示された太陽中心説 |
吉田 忠 |
| シンポジウム:洋学史研究の回顧と展望 |
鳥井裕美子・八百啓介・岩下哲典/他 |
| シンポジウム:近代的知識人と留学 |
西澤直子・川崎勝 |
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| 第10号(2001年) |
| 司馬江漢署名入り銅板腐食『須弥山之図』の検討 |
海野 一隆 |
| オランダの外科医ギルドの成立 ―蘭学の情報源としてのオランダの外科医― |
石田 純郎 |
| 享保年間紅毛船による植物移入の経過 ―オランダ商館史料を通してみた― |
今村 英明 |
| 将軍吉宗がオランダ商館に注文した薬用植物 |
遠藤 正治 |
| 江馬活堂『東海紀行』(翻刻) |
磯崎 康彦 |
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| 第9号(2001年) |
| 「日本カルタ」の出現と停滞 |
海野 一隆 |
| 小野田直武・佐竹曙山所蔵の西洋銅版画「神話図」と、彫刻家ケイセルの「海神図」 |
磯崎 康彦 |
| 芝蘭堂門人吉川良祐と『蘭学佩雋』 |
鈴木 幸彦 |
| オランダ王立植物標本館にあった岡研介作成のフノリ属の標本 |
加藤 僖重 |
| 『和英語林集成』に見られる外来語 |
松本 直枝 |
| シンポジウム: 本草学と博物学そして洋学 |
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| ジンポジウム:長崎聞役の情報摂取とその活用 |
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| フリッツ・フォス博士を偲んで |
有坂 隆道 |
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| 第8号(2000年) |
| 亀井南冥の医学思想 |
吉田 洋一 |
| 幕末期の佐賀藩の上海視察 |
羽場 俊秀 |
| 一関藩医に見る蘭学浸透の若干例 |
鈴木 幸彦 |
| 明治期公立医学校の授業科目−分析と特色− |
小形 利彦 |
| ファン・デル・シェイスの『オランダ日本開国論』の成立事情
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小暮 実徳 |
| 牧野標本館にあるシーボルトコレクション(3) |
加藤 僖重 |
| オランダ王立園芸奨励協会の種苗園で栽培された、日本と中国から輸入された新旧の植物一覧表 |
石山 禎一 |
| フォン・シーボルトの日本調査報告書 |
栗原 福也 |
| シンポジウム: 明治初期の思想・教育と洋学 |
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新島襄−留学・思想形成・実践 |
井上 勝也 |
| 最初の女子留学生津田梅子−アメリカ社会史の視座から− |
高橋 裕子 |
| 洋学的知識人と官学 |
戸田 文明 |
| シンポジウム: 18世紀の日蘭交流 |
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| 18世紀オランダ貿易の主体と蘭学 |
八百 啓介 |
| 秋田蘭画と平賀源内所蔵蘭書 |
磯崎 康彦 |
| 18世紀蘭方医学の展開とその社会的影響 |
海原 亮 |
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| 第7号(1999年) |
| 明治期公立医学校の研究―ローレツと山形県済生館医学寮― |
小形 利彦 |
| 幕末期の佐賀藩における英語の学習の契機 |
羽場 俊秀 |
| オランダ領東インドとフォン・シーボルト(2) |
栗原 福也 |
| 『オランダにおける王立園芸奨励協会年報 第1号』(2) |
(訳)石山 禎一・桂 ゆりえ |
| 牧野標本館にあるシーボルトコレクション(2) |
加藤 僖重 |
| 徳川幕府の洋学書の出版統制 |
森 睦彦 |
| シンポジウム:幕末維新の海外留学生 |
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| シンポジウム:在村蘭学の研究 |
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| 第6号(1998年) |
| 中国の「洋学」と日本 |
山田 慶兒 |
| 舶載された五点のネーデルランド絵画 ― ファン・ロイエン花鳥図模写― |
磯埼 康彦 |
| 「調馬師ケイゼル」“Groom Keijser” |
勝山 脩 |
| わが国の近代的家畜解剖図の調査 |
松尾 信一 |
| 幕末オランダ対日外交政策に関する諸前提 ― 植民地規定に関するイギリス・オランダのロンドン条約を中心にして ― |
小暮 実徳 |
| 日欧の出会い―函館「五稜郭」― |
滑川 明彦 |
| オランダ領東インドとフォン・シーボルト(1) |
栗原 福也 |
| 『オランダにおける王立園芸奨励協会年報 第1号』(1) |
(訳)石山 禎一・桂 ゆりえ |
| 牧野標本館にあるシーボルトコレクション(1) ― 伊藤圭介作成の標本 ― |
加藤 僖重 |
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| 第5号(1997年) |
| 久米邦武と金武良哲の物理学手稿 |
高田誠二 |
| 佐久間象山と西洋科学のかかわり−化学分野を中心に− |
東 徹 |
| 長谷川延年書写『西洋雑記』『万国人物図纂』に関する二、三の検討 |
吉田厚子 |
| 天文方、渋川景佑の天保改暦京都書簡 |
中村 士、伊藤節子 |
| 1996年度大会記録(長崎) |
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| 洋学史研究における江戸時代舶載原書の意義 |
石山 洋 |
| 長崎における食の文化を考える |
越中哲也 |
| 私の父・武藤長蔵とトラウツ博士とボクサー博士 |
武藤■一郎 |
| シンポジウム:「シーボルト生誕200年記念 ー 長崎とシーボルトの諸問題 ー」 |
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| シーボルト事件を巡って |
中西 啓 |
| シーボルトとその絵師川原慶賀 |
兼重 護 |
| シーボルト第2次来日時の活動について −長崎・横浜・江戸での外交活動を中心に− |
沓沢宣賢 |
| ライデンにある川原慶賀の自然史画 |
山口隆男 |
| シ-ボルトと学域--ブランデンシュタイン家収蔵シ-ボルト発オランダ領東インド総督ファン・デア・カペレン宛書簡下書の検討を中心に |
宮坂正英 |
| 川原慶賀と画家の教貞 |
木村陽二郎 |
| オランダ海軍機関将校ハ・ハルデスが長崎で使用した参考書 |
楠本寿一 |
| オランダ通詞本木昌造とくろがね橋 |
田渕 実 |
| 明治初期プティジャン版の典拠について−『聖教日課』と『彌撤拜禮式』− |
中村博武 |
| 林子平『海国兵談』成立史の解明ム写本4種(桂川本、森島本、大槻本、藤塚本)の比較から |
松田 清 |
| 寛文12年の出島における薬油蒸留とその背景 |
ヴォルフガング・ミヒェル |
| 賀来左之『本草新書』翻訳考 |
鳥井裕美子 |
| Adam Elias von Siebold の本邦産科への影響ム特にその産科鉗子ム |
石原 力 |
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| 第4号(1996年) |
| 『寛政暦書』所載天地両球儀図 |
海野一隆 |
| 江戸時代に翻訳されたオランダ語獣医学書の原典の探索 |
勝山 脩 |
| ナポレオン戦争の余波と幕末の日本 |
所 荘吉 |
| ナポレオン戦争の日本貿易に及ぼした影響 |
永積陽子 |
| 開国前後の日本における情報環境とナポレオン認識--海外情報の収集・分析と活用,「情報活動論」の視点から (シンポジウム「19世紀前半の西洋と日本」〔含 討論〕) |
岩下哲典 |
| オランダでの科学的活動へのフランスの影響--ナポレオン戦争と科学・オランダ語訳のフランス語科学書と蘭学 (シンポジウム「19世紀前半の西洋と日本」〔含 討論〕) |
塚原東吾 |
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| 第3号(1995年) |
| 洋学史から見た華岡青洲 |
宗田 一 |
| 近世日本の「鬼界ム高麗」領域 |
武田万里子 |
| 小田野直武が『解体新書』附図に参照した蘭書 |
磯崎康彦 |
| 渡辺崋山と林則徐の西洋学 |
趙 徳宇(岡田袈裟男訳) |
| 宇田川榕菴の主著『植学啓原』と『舎密開宗』をめぐる学術交流 |
土井康弘 |
| 紅毛文化と近世の人々 |
岡 宏三 |
| 平賀源内の火浣布製作とその後の展開 |
土井康弘 |
| ミュンチング『アールドゲワッセン』の模写図の発見 |
遠藤正治 |
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| 第2号(1994年) |
| 洋学史から見た華岡青洲 |
宗田 一 |
| 「箕作阮甫の人物像」について |
水田楽男 |
| 箕作阮甫の医学 |
中山 沃 |
| 箕作阮甫の電信機翻訳書『衣米針衣米印刷伝信通標略解』について |
菊池俊彦 |
| 箕作阮甫の海外知識 |
石山 洋 |
| 湿板写真術と洋学者 |
遠藤正治 |
| 平賀源内の火浣布製作とその後の展開 |
土井康弘 |
| 大槻玄沢の蝦夷地御用と北方研究 |
吉田厚子 |
|
アルブレヒト・フォン・ローレツの来日以前と帰国後の資料について |
小形利彦、エリッヒ・ラブル、
アントン・クルツ |
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| 第1号(1993年) |
| 創刊のことば |
佐藤昌介 |
| いわゆる「洋学論争」をめぐって |
佐藤昌介 |
| 南部盛岡・洋学校「日新堂」 |
藤原暹 |
| D・J・マッゴヴァンと中国、日本 1843〜1893年 |
八耳俊文 |
| 「古室家文書」の『蘭東事始』について |
土井康弘・大沢眞澄 |
| 資料: |
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| 下曾■信敦と高島流砲術 |
梶輝行 |
| 大槻玄沢の六十寿宴について |
吉田厚子 |
| シーボルト関係の新資料についての一考察 |
石山禎一 |
| 長崎浩斎稿『医話初編』 |
末中哲夫 |
| 寛政12(1800)年米船マサチューセッツ号日本長崎滞在日記 |
ウィリアム・クリーヴランド著、
金井圓訳注 |